国史跡に茨城県内3件 文化審答申、計31件に

茨城新聞
2017年6月17日

国の文化審議会(馬渕明子会長)は16日、瓦塚窯跡(かわらつかかまあと)(石岡市部原)と泉坂下(いずみさかした)遺跡(常陸大宮市泉)、結城(ゆうき)廃寺跡(はいじあと)附結城(つけたりゆうき)八幡瓦(はちまんかわら)窯跡(がまあと)(結城市矢畑)の県内3件を国の史跡に指定するよう松野博一文部科学大臣に答申した。瓦塚窯跡と泉坂下遺跡は新指定、結城廃寺跡附結城八幡瓦窯跡は追加指定として答申された。茨城県内の史跡は31件となる。

瓦塚窯跡は古代常陸国の窯跡で、南北130メートル、東西80メートルの範囲に35基の窯が築かれた。構造は大半が地下式窖窯(あながま)。7~10世紀にかけて操業され、常陸国の瓦生産の導入過程から、常陸国府・常陸国分寺の造瓦体制の確立と終焉(しゅうえん)までを知ることができる。一つの瓦窯としては窯の基数や密度も突出し、遺跡の状態も非常に良好とされる。

泉坂下遺跡は、久慈川と支流の玉川との合流点から北西に約3キロに立地。弥生時代中期の再葬墓遺跡として遺構の残存状況が極めて良好で、全貌が判明した貴重な事例。墓域が東西2群に分かれており、東日本で特徴的な再葬墓遺跡の様相を知ることができる。出土した人面付壺(つぼ)形土器は器高77・7センチ、口径14センチで、この種の土器では最大。

結城廃寺跡附結城八幡瓦窯跡は、下総国北端の鬼怒川西岸の台地に立地する古代寺院跡。西に金堂、東に塔が並び、平将門の乱を記した「将門記」に記載がある寺跡で、仏教文化の東国への波及と発展を示す。今回の指定は条件の整った部分を追加する。 

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