《真田の城 今昔》名胡桃 復元で観光名所に 

上毛新聞
2016年9月14日

利根川を見下ろす段丘に築かれた名胡桃(なぐるみ)城(みなかみ町下津)。真田昌幸が築いた山間の小さな城は戦国の世を大きく動かした。城址(じょうし)はNHK大河ドラマ「真田丸」放送に合わせて復元整備が進み、かつてないほどの観光客でにぎわいを見せている。

▼戦国終結の発端
城は武田家家臣だった昌幸が沼田城攻略のための前線基地として1579年に築いた。崖を生かして郭を直線状に並べた構造で、天守閣はなかったとされる。
この城が100年以上続いた戦国時代に終わりをもたらすきっかけを作る。89年、天下統一を目前にした豊臣秀吉が全国の大名に上洛(じょうらく)を命じる。関東で勢力を持つ北条氏は上洛に応じる条件として真田氏が治めていた沼田領を要求した。秀吉は「沼田城を含む東部を北条に、名胡桃城を含む西部を真田に」と裁定を下した。
同年、北条氏の沼田城代が名胡桃城を攻略すると、秀吉は大名間の私闘を禁止した惣無事令に違反するとして北条氏に宣戦布告。全国の大名を結集して翌年、北条氏を滅ぼし、天下統一を成し遂げた。
町は昨年度、発掘調査を基に城址の整備工事を実施した。土塁や木橋を復元したり、建物があった場所を目立たせたりと当時の姿を想像しやすくした。説明板も充実させ、堀の配置による防御の工夫などを解説している。
現在、土日になると駐車場には関東近郊を中心に県外ナンバーの車が多く止まり、団体客の姿も見られる。城址の史料館を拠点にする「みなかみ町歴史ガイドの会」によると、ドラマで沼田裁定が扱われた翌週の日曜(6月12日)には過去最高の千人が訪れたという。
会長の高橋俊信さん(67)=同町下津=は「以前は城好きな人が来るだけだったが、今は上州沼田真田丸展の流れで来る人や町内の旅館の宿泊客も立ち寄るようになった」と話す。来場者の増加を受け、今年いっぱいは史料館の定休をやめ、毎日ガイドを常駐させる。

▼遺産顕彰に力
本郭には徳富蘇峰が「名胡桃城址之碑」と書いた高さ3・1メートルの石碑が建つ。石は同城址保存会が1924年に近くの山から3日がかりで運んだと伝わる。同会は名胡桃の歴史的重要性を知った地主が地域住民に呼び掛けて立ち上げた。城址では昭和の中頃まで花見も催され、住民の憩いの場でもあったという。
会は代替わりをしながら、今も草刈りなどの活動を定期的に行っている。今年から5代目会長に就いた高橋光興さん(68)=同所=は「名胡桃は子どもの頃から遊び親しんだ心安まる場所」と思い入れを語る。80代以上が大多数を占める会に50、60代の住民を誘うとともに、ガイドの会とも連携、地元の歴史的遺産の顕彰に力を入れていく方針だ。

(おわり)
中之条支局 新井正人、沼田支局 斎藤柾哉が担当しました

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